『君たちはどう生きるか?』

私的映画観 vol.15
「地獄に詰め込まれた宮崎駿のジブリオマージュと商業利用への警鐘」

宣伝・広告は一切しないというSNS社会に系譜を打つような戦略と、宮崎駿による10年ぶりの新作と聞いては、見に行かずにはいられない。普通はどんな話かみたいなのが、街から聞こえてきても良いはずだが、日本人のジブリに対する強いリスペクトのせいなのか話がまったく見えない仕様だ。

ネットでは賛否両論。

率直な意見は、「これを物語として見てはいけない」。今までの作品のように国や時代背景を乗せて、物語として成立させるのではなく、本作は宮崎駿の今までのポートフォリオだと思いながら作品を鑑賞することで作品をさらに楽しんでみてほしい。

さまざまなジブリ作品のオマージュ

ポートフォリオのようだった言いたくなったのは、本作中で感じられた今までのジブリ作品のオマージュだ。まだ1回しか鑑賞していないので記憶は曖昧なのだが。さらには、私が勝手に勘繰っているだけなので、全然違う可能性しかないのでそれに関しては見逃してほしい。

・となりのトトロ
夏に少し実家に帰るという設定と、森が茂るあの風景にトトロを感じさせる。そして、冒頭でアオサギの後を追う場面。草のトンネルをくぐっていくところはまさにそれだ。そして、眞人の実母親が入院しているシーン。これもサツキとメイの母親を思わせる。ちなみに、宮崎駿の母親も病気がちで入院しがちだったという。

・風の谷のナウシカ
眞人の父親が、自宅に運んでいた飛行機のコックピット。風の谷のナウシカにて、ナウシカが胞子の雨を防ぐために使っていた王蟲の目玉の殻に類似していた。あえて飛行機のコックピットを本作でチョイスしていたのは、時代背景も含んで「風立ちぬ」のオマージュもあるだろうか。

・ハウルの動く城
アオサギに実の母親に会えると騙され、入った屋敷。これは、サリバンが荒地の魔女を騙して、弱体化させる際の部屋によく似ていた。また、時の回廊のドアで現世に戻れるという設定は、ハウルの城にあった出る場所を変えられるドアと、軸としては相違するものの仕組み自体はよく似ている。そして、眞人の窮地を何度も救ったヒミの操る炎。これはまさしくカルシファーだ。

・ラピュタの動く城
まずは、眞人が地獄に落ちた際、どこからきたかと問われた際に「上から」と答えるシーン、隕石のように降ってきた石。この2点はラピュタの城と大きく重なる。本作では石や積み木をストーリーの中で非常に重要なファクターとしていたが、この設定自体がまさに「ラピュタの動く城」を彷彿とさせる。石が発行して大きな力を持っているのも、ひこうせきそっくりだ。

・もののけ姫
なんといっても本作のチャーミングアイコン「わらわら」が、もののけ姫で出てきた森の精霊「こだま」であった。これに関しては、鑑賞していた全員が。「あ、あいつだ」となったはず。そして、個人的に強く感じたのは、アオサギの存在。冒頭ではヒールに徹し、ラストでは友達として共に危機を乗り越える姿(シルエットや能力値高いのにドジなところも含めて)が、もののけ姫に登場するジコ坊にしか見えなかったのだ。また、もののけの力を借りて、主人公の引く弓矢が、強化されるところもとても共通していただろう。

・千と千尋の神隠し
千と千尋の神隠しも、本作の設定とかなり重なるだろう。両作とも、現世とあの世がトンネルのようなものを通じて別れており、神や創造世界を作品のベースとしている。眞人が地獄に落ちてすぐ石で出来たお墓の封印を解く際も、キリコが助けて封印する際の挙動、封印後の後ろを振り返ってはならないシーンは、千と千尋の神隠しマインドを強く感じる。また、本作でナツコを守っていて眞人を覆っていた紙の式神?のようなものも、千と千尋の神隠しで、ハクを襲った紙鳥にそっくり、もはやそのまんまだった気もする。

他にも、大叔父のローブにゲド戦記を感じたり、ヒミのポニーテールがアーヤと魔女感があったり、おばあちゃん達が崖の上のポニョのおばあちゃん達と重なったりなど、細かい箇所で彷彿とさせるシーンはあったが、観直したら気が付くところもあるのだろう。

作品の商業利用に対する警鐘

本作の最大の特徴である、宣伝や広告を一切打たないというコンセプトも本作こうして鑑賞すると感じるところがある。本作では、若かりしキリコがいっていたように地獄という世界の設定で物語が進行していく。「上から来た」ということを眞人も自覚していたように、人間や生物が住んでいる世界(現世)より下層の世界だということだ。かねてより、死者の世界・人ならざるものが住む世界(冥界)は現世より下層にあると言われ、裏付けも可能そうだ。

そんな、冥界でジブリ作品のオマージュを感じさせるということは宮崎駿が自分の作品が、現世で生まれ、冥界に落ちたと言っているようなものではないか?今や、日本といえばジブリといっても過言ではないほど世界を代表するカルチャーとして成長したジブリ作品。しかし、それはSNSや広告を通して情報を発信して拡大しやすい現代において、今までジブリがもたらした商業的価値が上がっていけばこそだ。それによりピュアなメッセージや問題提起を作品から受け取る人は少なくなり、それはもはや作品にとっては、死に近いということを暗示しているような気もしてしまった。

しかし、オマージュをすることであの作品をもう一度観てみようかとなるのは、まさに宣伝・広告に近い。ここは鈴木敏夫の技巧が詰まっているように思える。「結局、観るんだよ」と。

完全にジブリ作品をオマージュしましたと宮崎駿から発言することはないと仮定をすると、作品はまだ完全に死んだわけではない。ラストシーンでも、若かりしヒミもキリコも結局”死ぬ”ことはなかった。つまり、希望を少し現世においた上で作品から何を受け取るのかは自分次第であろう。現世から眞人と共に戻ったペリカン。特徴は、群れで行動することと、長寿であること。烏合の衆とはよくいったものだが、まさに私たちと作品のカケラことではないだろうか。まだまだ情報社会の加速がすすむ現代において、どのように生まれた作品を享受していくのかと、警鐘を鳴らしたのではないかと私は感じた。

その上で「君たちはどう生きるか?」。

あくまで勝手に考察してみただけだし、いくつか鈴木敏夫氏に本作について、インタビューをしている媒体があって読んだが、やはり私の作品の受け止め方は書いた通りであった。なので、全然違うぞと宮崎・鈴木コンビが嘲笑っているような気もしないでもない。

監督
宮崎駿
原作
宮崎駿
制作
スタジオジブリ